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オープンしましたぁ~^^
【過去のブログより転載】
こんにちは。ゆうさんの部屋へようこそ。
一年半ほど、行ってた銀座の現場が終わり、ついに9/1オープンしました。
名前は「マロニエゲート」。マロニエ通りの入り口と言う意味らしいです。
自分のやってた現場がオープンするのをみるのは、感慨深いものですね。
みなさん、是非見に行って下さい。
僕も近いうち、行こうと思います。
ではまた^^
2007年3月13日 (火) 日記・コラム・つぶやき
え~っ、え○○○・・・!?
【過去のブログより転載】
こんばんは。ゆうさんの部屋へようこそ。
みなさん、お久しぶりです。現場といろいろなことで忙しかったのでかなり久々です。
社内の人間関係等も関係してか、年末に気付いたら、なんと・・・
円形ができていました・・・
円形脱毛症です。生まれて初めてです。びっくりしました。
気にしないのが一番ということで、あまり気にせずにはいましたが、なかなか生えてこないものですね。どなたかいい方法をご存知の方いらっしゃいましたらご一報下さいますようお願いいたします。
僕には無縁のものだと思っていましたが、自分でもわからないうちにストレスをすごくためていたんでしょうね。現場も大変な時期でしたし、社内の人間関係等でも知らず知らずのうちにストレスは確実に僕の体を蝕んでいたのでしょう。
今年の1月の僕の誕生日の土曜日にも事務所のテーブルでうちのみなさんに囲まれて日付が変わりました。去年、うちのホープのひとりである大事な彼が現場で怪我をしてしまい、そのときは労災がおりたのですが、その後何ヶ月かしてそれが原因か病気になり入院したときにも、もしかしたら彼に対し充分なことをしてあげれてなかったんじゃないかという自己険悪もあって、その日もたくさん言いたいことのありそうなみんなにつきあうことにしました。話はその彼の病気の話ではなく、別の話だったのですが。
そういうときにはすべてが悪循環でどんどんネガティブになっていきます。経営って難しいんだな・・って。
今さらながらにそう思うようになっていきました。
そしてそれからも給料日には食事会をやりますが、なんとなく微妙なんですよね。
でもそんな食事会のあと、一本の電話をもらいました。
うちで二番目に長い勤勉な彼です。
彼はそんなネガティブな状態の僕を、会社を、ものすごく労わり思いやりの気持ちでいっぱいな考えでみんなをまとめてくれたことを教えてくれました。僕はうれしさでまたしても言葉がでなくなってしまいました。
そして最後に彼は一言、
「命、預けてますから!」
僕は感動でまたも言葉がでなくなり、
「あ、ありがとう・・」というのが精一杯でした。
いろいろなことに悩んだりしたこともあったけど、寡黙で勤勉な彼のほうがずっと僕より悩んだり、会社の将来を考えたり、温かく大きな人間であるとそのとき思いました。彼とはまだ彼が見習いの頃、一度だけ二人で飲んだことがありますが、彼はそのときからずっと僕を信じてついてきてくれたんだなって思いました。僕は精一杯頑張って彼らをずっと守っていかなければ!と強く心に思いました。本当にありがとう!
桜の咲く季節になりました。
少しずつだけど、僕の髪に新しい芽が出始めました・・・
2007年3月13日 (火) 日記・コラム・つぶやき
僕の現場です(^o^)
【過去のブログより転載】
こんにちわ。ゆうさんの部屋へようこそ。
ご無沙汰してます。
今年の2月から僕が入っている銀座の現場が鉄骨が一番上まで立ち上がりました。
有楽町駅前にはマルイも建設中ですし、銀座も変わっていきますね。ではまた(^O^)
2006年10月20日 (金) 日記・コラム・つぶやき
俺がいるから・・・
【過去のブログより転載】
こんにちは。ゆうさんの部屋へようこそ。
随分、久しぶりですいません。毎日現場で忙しくて全然パソコンさわってませんでしたm(__)m
創業当時からずっと一緒にやってきてる元気な彼が現場にこなくなりました。
お金使いの忙しい彼とはたまに衝突して、1年に1回くらいこなくなったりするのですが、そのたびに僕は、彼と、何が気にくわないのかと徹底的に話をして納得いくようにしてきましたが、今回は少しほっておきました。なぜこないのか?の問いに対し、行きたくないからとただそれだけだったからです。
彼と初めて会ったのは、独立したてのとき、雑誌に載せた求人を見て、彼が面接にきたときです。ニット棒なんかをかぶって、やたらテンションの高い彼は今時の若者という感じでした。
当時の僕は独立して会社を創るというまだやったことのないことをやろうとしていたため、右も左もわからず、ただがむしゃらに前だけみて毎日必死でした。あの頃、僕が会社を持てるようになると思っていた人は少なからずとも、僕のまわりにはいませんでした。一番身近な親兄弟でさえも。
ただ、どういうわけか僕だけは信じていました。自分のことを。なぜだかわかりませんが、未来の自分の姿はイメージしていました。いつも壁にあたっても、この根拠のない自信というか信念でなんとか乗り越えてこれました。
そんな風にとにかく必死に二年間くらい突っ走ってきましたが、そんなあるとき、もうダメだと思ったときがありました。
取引先、仲間、周りの人すべてに裏切られ、半分以上の人がいなくなったのです。取引先からもクレームの嵐で、仲間も2~3人しかいなくなりました。僕は自分にはこれ以上器量はないんじゃないかと自信を失い失望してしばらく何日も悩みました。一番励まして欲しい両親にさえ、無理なんだから早く辞めろと。そして・・・
ついに僕はグループを解散する覚悟を決め、みんなを居酒屋に集めました。
思い詰めた顔をしていたのがわかったのか、彼が切り出しました。
「なんか、元気ないっすね、斉藤さん?」
「なんか、悩んでるんでしょ?」
「・・・・」 僕は、何も言えずにいると・・・
「大丈夫だよ!!何も心配ないよ!!みんないなくなったって、誰もいなくなったって、俺がいるから!!俺がいるから大丈夫だよ!!斉藤さん!!」
思わず、我に返りました。僕はなんてバカだったんだろうと。自分だけが会社のことを考え、悩み、苦しんでいると思っていました。今までだって自分ひとりで頑張ってきたと勘違いしていました。そうだ、彼がいてくれて、一緒に走ってきてくれたから今があるんじゃないかと気付きました。これからも一緒に走ってくれる彼がいる限り、すべてなくなったってまたいちから創ればいい。
僕は溢れる涙をグッとこらえて、笑顔で、
財布忘れちゃったんだよ・・・悪い・・・とごまかすのが精一杯でした。
まじでっ~~!!っとその日もいつもの飲み会になりました。
あの日から何年も経つけれど、そんなことを言ったということを本人は覚えていないと思います。僕はあの日がもしなかったら今は・・・とは考えないかわりに私生活でかなり世話の焼ける彼に対して、できるだけのことはやっていこうとそのとき決めたのです。
しかし、今回はいい加減、僕もはらわたが煮えくり返っていました。現場にくるのが嫌なら、こなくていい、辞めるなら辞めろくらいに思っていました。
3~4日すると、彼が現れました。
「ホントすいませんでした。反省しました。」と、帽子をとり謝る彼を見て僕は大笑いしました。頭を丸めて出直しますってことかい?長髪だった彼の頭は丸坊主になっていました。
しばらくふたりで大笑いしました・・・。
2006年5月21日 (日) 日記・コラム・つぶやき
~midnight in taxi~
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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
今日は僕が見習いの頃の話をします。
コンピューター会社をやめて無職の僕に、「暇だったら現場に遊びにこいよ。」と声をかけてくれたのが当時の僕の親方です。彼は悪気はないのですが、今思えばあまり人の使い方が上手くなく、昔ながらの職人というか、頑固親父といったところでした。彼に怒鳴られながらも僕は今までのスーツにネクタイというスタイルと全然違う世界が毎日楽しくて楽しくてしかたありませんでした。僕は毎日真っ黒になりながら一生懸命働いていました。
そんな頃です。コンピューター会社の先輩に二人で会社を創ろうと誘われました。彼もまたコンピューター業界では実績を上げている人で、僕の実力も買ってくれていて、正直嬉しかったのですが、初めて知った青空の下で汗を流しながらする仕事に魅了されていた僕は迷うことなくお断りしました。しかし、その後も先輩の猛烈なアタックは毎日続き、3ヵ月後・・・僕は熱心に口説かれる女性の気持ちが少しわかったような気がしました。僕はついに負けて、今までのコンピューター業界で先輩と会社を創る決心をしたのです。
それから数日後、僕は事情を話すために同い年の親方を飲みに誘いました。
なかなか話が切り出せずに居酒屋で二~三時間も関係ない世間話ばかりしながら僕は「なにしてんだ俺・・」と心の中でつぶやいていました。そして、「じゃあ、そろそろ帰るか・・・。」と言う親方の声に慌てて、「も、もう一軒・・・」と僕はさけんでいました。
二軒目のカラオケスナックで一曲歌ったあと、僕は「実は・・・」とやっと事情を話しました。当然、話を聞いて驚いて止められるものと思っていました。しかし、彼は、
「そういうことだろうと思っていたよ・・・。」
「がんばれよ・・・。」
力が抜けました。僕はもしかしたら、止めてくれることを期待していたのかも。もし止めてくれれば、コンピューター会社の話は断るつもりでいたのかもしれません。
店を出て、タクシーに二人で乗り込むと、僕らは目も合わさず、一言もしゃべらず、お互いに別々の窓から外を見ていました。そして、どれくらい時間がたったのか、彼が相変わらず窓の外を見ながらポツリと言いました。
「なぁ・・・。」
「ん・・・。」
「もしダメだったら・・・ また戻ってこいよ・・・。」
「あっ、運転手さん。そこで。」
彼は、僕が帰れるくらいの料金を置くと、「じゃあな。」と言ってタクシーから降りました。
走り出すタクシーの窓から外を眺める僕の目から涙がこぼれました。
それから、コンピューターの会社を立ち上げてから半年の間、僕はその日のことをずっと忘れられずに過ごしたことを彼には言えませんでした。
「やっぱ、ダメだった。」
そう言って半年後、僕はまた同じ青空の下にいました。
2006年1月 8日 (日) 日記・コラム・つぶやき